「そこまで求めてないんだよね」「目指すところが高い」
そんな風に、私は見えるらしい。
……この言葉、すっごい違和感。
オフィスに行かない日は、日焼け止めだけ塗って、スッピンの私が?
ごはん食べるのがめんどくさくて、ポテトチップスで済ます私が?
お財布の中が気づいたらレシートでパンパンになってる私が?
毎日毎日、一般の人が当たり前にできることをできなくて、
自分のダメさ加減に凹んでいる私が?
ありえない。
と思うのだが、どうやらそうらしい。
先日、小さい頃からお世話になっている美容師さんに「なんでそんなところから見るようになったの?」と聞かれて考えてみた。
どれがピッタリだというのはないけれど、幼少期から、
実家の仕事の関係で、目の前で作られて納品されて、百貨店に並んでいる商品を見ていたからかもしれないし、
幅広い年代の、バリバリ仕事している世代とお話する機会があったからかもしれないし、
祖父が洋画好き、両親の友達に海外住まいの方がいたことで、海外のアニメやドラマ、映画を見て育ったからかもしれない。
無意識にでも、目線を高く、幅広くしてくれた両親には今となっては感謝だが、
忘れてはいけないのは、
誰もが、自分と同じ目線で、物事を見ているわけではない。
ということだ。
それぞれに育ってきた環境が違うのだから、
目線の高さは、人それぞれである。
これを前提にして、コミュニケーションをとっていくことが大事なのだが、
仕事の時は、なかなか難しい。
目線が高い方に合わせるか。低い方に合わせるか。
クリアすべき基準を決める必要がある。
ここを決めないままに、仕事が走り出してしまうと、途中でコミュニケーションに齟齬が生まれてしまう。
できるだけ柔軟に、全員がイメージできて、「ちょっと背伸びしたらクリアできるかも?」くらいにしておくのがいい。
だが、
自分の中で「これだけは譲れない」といった、最低限の高さは死守すべきだ。
これは仕事に限らず、コミュニケーション全てに当てはまる。
全部を全部、相手に合わせる必要はない。
あなたが「これ以上は無理だ」という目線の低いことをされたのであれば、さらっとその人から距離をとっていい。
頑張って目線を下げて、猫背になって、呼吸を苦しくする必要はないのだ。
この世界は、あなたのもので、あなたが楽しむためにある。
目線の高さは、あなた自身を守る、柔らかな鎧でもあるのだ。
「目線の高さは、人それぞれ」ということも片隅におきつつ、あなたの目線で、これからも世界を楽しんで。